福岡地方裁判所 昭和48年(行ウ)45号 判決 1984年9月28日
原告(亡大宮喜仲承継人) 大宮フミ
<ほか一九名>
右原告ら訴訟代理人弁護士 角銅立身
右訴訟復代理人 登野城安俊
同 吉村拓
被告 三井鉱山株式会社
右代表者代表取締役 有吉新吾
右訴訟代理人弁護士 石田市郎
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、別紙物件目録記載の各物件につき鉱害賠償責任を有することを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
(本案前)
本件訴えを却下する。
(本案)
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの連帯負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 別紙物件目録記載の物件(以下、例えば、同目録番号一の建物を「本件一の建物」、同目録番号二六の土地を「本件二六の土地」のようにそれぞれいい、総称して「本件各物件」という。)は、同目録所有者欄記載の者がそれぞれ所有していた。
(二) 大宮喜仲は昭和五五年三月二六日死亡し、原告大宮フミ、同大宮順子、同大宮茂及び同今村慶子が右大宮喜仲を相続した。
(三) 湯元曻は昭和五三年一〇月一〇日死亡し、原告湯元保孝が本件九及び一〇の建物を相続により取得した。
(四) 恒遠芳太郎は、昭和五〇年一二月一八日死亡し、原告恒遠芳昌が本件一八、一九及び二〇の建物を相続により取得した。
(五) 久恒米造は昭和五三年八月二四日死亡し、原告田中和子が本件二四及び二五の建物並びに本件二六の土地を、原告久恒新が本件二三の建物及び本件二七の土地をそれぞれ相続により取得した。
2 被告は、明治三三年三月から昭和四四年五月三〇日被告のいわゆる第二会社である田川鉱業株式会社による閉山まで、本件各物件の所在地の地下の石炭を採掘したものである。
3 被告の長期間かつ数層に及ぶ石炭採掘により、本件各物件は、次のように、それぞれ、沈下、傾き、歪み、たわみなどの複合被害を現実に蒙っている。
(一) 本件一の建物
(1) 屋根瓦の取換え数一〇枚
(2) 二階の柱、梁の曲り。
(3) 障子、襖が動かない。
(4) 床の傾斜、腐触が激しい。
(5) 井戸水が完全枯渇した(昭和四〇年ころから減少)。
(二) 本件二及び三の建物
(1) 柱の傾き、雨漏りがひどい。
(2) 建具、障子、襖が動かない。
(3) 現在壁の亀裂、建具のきしみ
(4) 井戸水が枯渇(昭和三二年ころ)したのでその後廃棄(昭和四〇年ごろ)した。
(三) 本件四及び五の建物
(1) 棟が凹んでいる。瓦に波がありずれている。
(2) 二階の柱の傾き、建具がたたない。
(3) 襖が動かない。
(4) 土間のコンクリートの亀裂三箇所(長さは三ないし四メートル又は一〇ないし二〇メートル)
(5) 床に三ないし四センチメートルの亀裂(昭和四八年八月末解体時)
(四) 本件六の建物
(1) 雨漏り、瓦のずれ
(2) 北側道路方向へ約一〇センチメートルの柱の傾き
(3) 建具の開閉が出来なくなった。
(4) 壁の亀裂、剥落。
(5) 土間コンクリートの割れ、床の沈下(穴がほげている)で石などを埋めてもすぐに沈下
(6) 便所槽の割れがあった。
なお、右(1)ないし(6)等の被害のために昭和三一年ころ倉庫(七坪)、居宅改修(四〇万円位費用がかかった)。を行った。
(五) 本件七及び八の各建物
(1) 倉庫が線路側に傾く。
(2) 昭和三九年ころ廊下が中くぼみ、硝子障子が動かなくなる。
なお、右等の被害のため昭和四八年店の部分を建直した。
(六) 本件九及び一〇の各建物
(1) 瓦のずれ(軒先の瓦が落ちていく)、雨漏り。
(2) 柱が階下で一〇センチメートル位傾いている。
(3) 建具の動きが悪くなった。
(4) 壁の剥落
なお、右等の被害のため危険になったので昭和四五年九月頃費用三五〇万円位をかけて改修した。その際東北側は傾斜をなおした。
(七) 本件一一の建物
(1) 昭和二八年ごろより家が傾斜、土間コンクリートに亀裂が生じ、昭和二九年には炊事場が倒壊した。
(2) 井戸が水の減少、にごりのため使用不能となる。
(3) 昭和四四年九月裏側住居(建坪六坪)が倒壊寸前となり改築した。
(4) 昭和四五年三月、二階の傾斜が天井下端で東側に二四センチメートル、東側に一五センチメートルとひどくなる。
(八) 本件一二の建物
(1) 雨漏り。
(2) 柱が傾斜し、土台に凹みが生じ、そのため柱、建具、襖に添木を要する。
(3) 土間が沈下。
(4) 壁の剥落。
(5) 井戸水が出なくなる。
なお、以上のような被害のため昭和三四年ころ、昭和四二年ころ及び昭和四七年ころそれぞれ修理した。
(九) 本件一三ないし一五の各建物
(1) 建物が全体に傾斜していた。
(2) 雨漏り。
(3) 柱の傾斜のため、建具、襖の開閉不能となる。
(4) 床、土間のひずみ。
(一〇) 本件一六の建物
(1) 瓦のずれ、雨漏り。
(2) 柱の傾斜のため、建具の動きが悪くなる。
(3) 壁の剥落、土間コンクリートの亀裂。
(4) 建物全体が車の方に傾斜していた。
(一一) 本件一七の建物
(1) 昭和一八年以前から、襖が動かなくなり傾が出ている。
(2) 襖が弓なりになり柱が二〇センチメートル位傾斜。
なお、右のような被害のため昭和四四年八月から一一月にかけて柱を一〇本補強、傾きを直すなどの大改修を二五〇万円位の費用をかけてやったがその後も北西方向に傾斜している。
(一二) 本件一八ないし二〇の各建物
柱が傾斜。
(一三) 本件二一の建物
(1) 瓦のずれ、雨漏り。
(2) 柱の傾斜。
(一四) 本件二二の建物
(1) 瓦のずれ、雨漏り。
(2) 柱の傾斜。
(3) 床のコンクリートの沈下、亀裂。
(4) 壁の剥落。
なお、これらの被害の補修のため昭和三三年八月に一八万円の費用をかけて全般的に補修、昭和四八年二月に八万五〇〇〇円をかけて屋根を修理した。
(一五) 本件二三の建物
(1) 昭和四年当時、柱も傾き、雨漏りがあり、建具も動かなかった。(そのころ大修理をした。)。
(2) 昭和四九年一〇月、危いので取り壊した。
(一六) 本件二四の建物
(1) 雨漏りが激しく、柱が傾き建具が動かなくなった。(大正一〇年ころ一五日間かけて大修理をした。)。
(2) その敷地が沈下した(地あげを三〇センチメートル位した。)。
(3) 現在も柱が三センチメートル位傾き建具が動かない。
(4) 雨漏りが激しく、その為柱やたる木が腐っている。
(5) 井戸水が枯渇した(大正一〇年)。
(一七) 本件二五の建物
(1) 井戸水が枯渇。
(2) 柱が傾斜する(上部で一〇センチメートル位)。
(3) その敷地が地盤沈下(昭和八年当時の五〇ないし六〇円をかけて地あげを三〇センチメートル程し、建物の傾斜をなおした)。
(4) 昭和一二年に傾斜がまたひどくなったので傾斜をなおした。その後もたびたび傾斜するのでその都度修理を行って来た。
(5) 現在平家部分が傾斜のため使用できないので、二階のみを使用している。柱の傾斜は上部で一五センチメートルあり、建具が動かないので副木をつけている。屋根瓦がずれ、雨漏りが激しい。煉瓦塀にひびわれが入っている。
(一八) 本件二八の建物
(1) 大正七ないし八年当時、井戸水が枯渇した(被告が給水を始めた。)。
(2) 銭湯の浴槽のセメントに亀裂が入り、営業が出来なくなった(昭和一九年には廃棄した。)。
(3) 屋根瓦がずれ柱が傾き建具が動かなくなった。なお、昭和四九年一〇月に取り壊した。
(一九) 本件二九の建物
(1) 瓦がずれ、雨漏りがひどく、柱がひどく傾斜し建具は全く動かなかった。
(2) 建物全体が傾斜した。
隣家に迷惑をかける危険性があるので昭和四九年一〇月に取り壊した。
4 原告らは、九州地方鉱業協議会に対し、昭和四四年八月三日、石炭鉱害賠償等臨時措置法(以下「法」という。)一一条の二に基づき、本件各物件につき、被告が鉱害賠償責任を有することを確認する旨の裁定を申請したところ、九州地方鉱業協議会はこれを受理したうえ、昭和四八年七月三一日付で「被告は原告らに対し、本件各物件について鉱害賠償責任を有しないことを確認する。」旨の裁定をなした。
5 しかしながら、本件各物件はそれぞれ前記のとおり鉱害被害を蒙っており、右裁定はその実態を看過した不当又は違法な裁定である。
よって、原告らは、被告が本件各物件につき鉱害賠償責任を有することの確認を求める。
二 本案前の主張
裁定は、鉱害賠償責任の存否について判断するものであるとしても、その裁定につき不服ありとして行政訴訟を提起する場合、右訴訟は明らかに、被害者と称する原告らが、加害者(もしくは賠償義務者)たる被告に対し、鉱害賠償債務の存在することの確認を求めるか、該債務の支払(給付)を求めるか、いずれかの訴によるものであるか(場合により復旧を求めることもできる)、いかなる訴によるも、その額が明らかにされない訴は不適法である。
三 本案前の主張に対する反論
本件訴訟は、九州地方鉱業協議会が本件各物件につき、昭和四四年八月三日に行った「被告が鉱害賠償責任を有しないことを確認する。」旨の裁決に不服であるとして、法一一条の六に基づき提起されたものであるが、右裁定主文に対応するものとしては請求の趣旨第一項のとおりの請求が最も適切であり、しかも本件各物件につき被告が鉱害賠償責任を有することが確認されさえすれば、鉱業権者たる被告又は鉱害復旧事業団が責任をもって復旧をするのであるから、損害額を明示した給付訴訟による必要はない。
四 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実は知らない。
同1(二)ないし(五)の事実は認める。
2 同2の事実中、被告が石炭の採掘をしたことがあることは認め、その余は否認する。
被告は、明治三九年一月から昭和二七年一二月まで本件各物件の周辺の地下を採掘したものである。田川鉱業株式会社は、本件各物件周辺の採掘はしていない。
3 同3の事実は否認する。
4 同4の事実は認める。
5 同5の事実は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 本件訴えの適法性について
被告は、原告が具体的数額を明示せず、単に被告が本件各物件につき鉱害賠償責任を有することの確認のみを求めるのは不適法であると主張するから、この点について判断する。
法は、地方鉱業協議会が鉱害賠償に関する裁定を行った場合に、これに不服ある者は賠償義務者又は被害者を被告として訴えを提起すべき旨を定めており(法一一条の六)、右訴えは、行政事件訴訟法四条のいわゆる形式的当事者訴訟であると解される。
そして、法が裁定に対する不服の訴えを右のように規定している趣旨は、鉱害賠償に関する紛争は、本来は私人間の私法上の紛争にすぎず、地方鉱業協議会を被告として関与させる公益上の必要性もなく、むしろ、賠償責任の有無を争う当事者の訴訟により解決させるほうが妥当であるとしたものと解される。
したがって、右の訴えは、地方鉱業協議会の裁定の取消しの趣旨を含むことは明らかではあるが、右訴えの目的とするところは、地方鉱業協議会の裁定を取り消して再び裁定をさせることにあるのではなく、当事者間で鉱害賠償に関する紛争を最終的に解決することにあると解される。そして、鉱害賠償に関する紛争は、地方鉱業協議会の裁定を経ることなく、通常の民事訴訟手続において賠償金の支払を求める給付訴訟等により解決し得るものであるから、右訴えも給付又は確認の訴と解すべきである。
ところで地方鉱業協議会の裁定は、鉱害復旧の促進という目的に応じた内容の主文(鉱害か否かの認定、賠償責任者の認定、鉱害賠償の額、鉱害賠償の方法など)がありうるわけである。単に鉱害賠償責任の存在のみを裁定した場合においては、右裁定をふまえ、石炭鉱害事業団による復旧が行われうるのであり、復旧の余地がない場合であっても右裁定をふまえ賠償義務者による任意の賠償が期待できる(賠償額について当事者間に争いがあれば改めてその額について地方鉱業協議会の裁定を受け得る)ことになる。したがって、本件のごとく、地方鉱業協議会が鉱害賠償責任がない旨を裁定した場合には、これに対し、単に鉱害賠償責任がある旨の確認を求めることもその利益があるというべきである(これに対し、賠償額を明示し、ひいては給付訴訟によるべきであるとすることは、右の復旧を受けるという救済方法に道を閉じることになり、鉱害被害の救済方法としては、当事者の求めない、不十分なものであることもありうる。)。よって、本件訴えは適法なものと解される。
二 請求原因一(本件各物件の所有関係)の事実について
1 《証拠省略》によれば、別紙物件目録一記載の建物は、平井一二三の父が建築し、大宮喜仲が昭和三五年九月に買い受けたことが認められ、大宮喜仲が昭和五五年三月二六日死亡し、同人を原告大宮フミ、同大宮順子、同大宮茂及び同今村慶子が相続したことは当事者間に争いがない。
2 《証拠省略》によれば、本件九及び一〇の各建物は、湯元曻が建築したことが認められ、湯元曻が昭和五三年一〇月一日死亡し、原告湯元保孝が相続により右各建物を取得したことは当事者間に争いがない。
3 本件一八、一九及び二〇の各建物は、恒遠芳太郎が建築したことは弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、同人が昭和五〇年一二月一八日死亡し、原告恒遠芳昌が右各物件を相続により取得したことは当事者間に争いがない。
4 本件二三ないし二五の建物を久恒米造が建築したこと並びに本件二六及び二七の各土地がもと同人の所有であったことは弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、同人が昭和五三年八月二四日死亡し、原告久恒新が本件二三の建物及び本件二七の土地を同田中和子が本件二四及び二五の建物並びに本件二六の土地を相続により取得したことは当事者間に争いがない。
5 前記1ないし4掲記を除く別紙物件目録記載の各建物が、これに対応する同目録所有者欄記載の各原告ないしはその先代の建築にかかるものであることは弁論の全趣旨によりこれを認めることができるから、右の本件各建物は同目録の所有者欄記載の各原告らが所有していること(ないしは解体当時所有していたこと)が推認される。
三 請求原因3のうち、本件各物件につき、沈下、傾き、歪み、たわみ等の複合被害が生じている事実の有無についてみる。
1 本件一の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、同原告ら主張の被害が生じていることが認められる。
2 本件二及び三の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告篠原ユリ子主張の被害が生じていることが認められる。
3 本件四及び五の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告江頭謙次主張の被害が生じていることが認められる。
4 本件六の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告荏隈主張の被害が生じていることが認められる。
5 本件七及び八の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告森主張の被害が生じていることが認められる。
6 本件九及び一〇の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、同原告主張の被害が生じていることが認められる。
7 本件一一の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、同原告主張の被害が生じていることが認められる。
8 本件一二の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、同原告主張の被害が生じていることが認められる。
9 本件一三ないし一五の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告大場ナガキ主張の被害が生じていることが認められる。
10 本件一六の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告松本節子主張の被害が生じていることが認められる。
11 本件一七の建物につきみるに、《証拠省略》によれば、原告尾崎正臣主張の被害が生じていることが認められる。
12 本件一八ないし二〇の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告恒遠芳昌主張の被害が生じていることが認められる。
13 本件二一の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告白石繁主張の被害が生じていることが認められる。
14 本件二二の建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告川上林主張の被害が生じていることが認められる。
15 本件二三ないし二五の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告久恒新及び同田中純子主張の被害の生じていることが認められる。
しかし本件二六、二七の各土地については、地盤沈下等の被害の生じていることを認めるに足りる証拠はない。
16 本件二八、二九の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、原告久恒純主張の被害が生じていることが認められる。
四 請求原因2(被告の掘削)についてみるに、《証拠省略》によれば、被告は、明治三三年から昭和二七年にかけて、本件各物件の所在地の地下の石炭層(田川八尺層、田川三尺層、田川四尺層)を掘削している事実が認められる。
五 そこで、前記二認定の原告ら所有物件の被害と前記三認定の被告の掘削の事実の因果関係の有無につき判断する。
1 《証拠省略》によれば、地下の石炭採掘によって起こる地盤沈下が起こらなくなる、いわゆる沈下の安定には、採掘の深度が深くなるほど長期を要すること、その安定に要する採掘終了後の期間については、第四条第四項及び第五項に基づき通商産業大臣が定めた鉱害賠償積立金算定基準(昭和三八年七月五日付三八石第八五七号)があり、それによると、深度一〇〇メートル以上三〇〇メートル未満の場合一年以上一年半未満、深度三〇〇メートル以上五〇〇メートル未満の場合一年半以上二年未満、深度五〇〇メートル以上の場合二年以上二年半未満とされている。
本件についてみるに、《証拠省略》によれば、本件各物件の地下に存する田川八尺層の採掘深度は地表下二八〇ないし三六〇メートルであり、田川四尺層の採掘深度は地表下三二〇ないし四〇〇メートルであることが認められる。また新町地区に存する各物件の地下である田川三尺層の採掘深度については、《証拠省略》によれば、五〇〇メートル以下であると認められるところ、前記算定基準によれば深度五〇〇メートル以上でも安定期間は二年半未満であることが認められるうえ、後記のように、本件一八ないし二〇の各建物については、田川三尺層が昭和一六年上期、田川八尺層が昭和二七年上期の各採掘、本件二一の建物については、田川三尺層が昭和五年上期、田川八尺層が昭和一五年下期の各採掘であり、いずれの物件についても田川八尺層は田川三尺層より一〇年以上後に最終採掘されているので、田川三尺層による影響は度外視していいものと思われる(もっとも累層採掘の問題があるが、これについては後述する。)。
2 そこで次に、右算定基準によって地盤の安定期間を決定することの妥当性につき検討する。
原告らは、本件訴訟提起に先立ち九州地方鉱業協議会に対してした裁定申請において、本件各物件の存する地域の地下の採掘は、五層、六層と採掘されたいわゆる累層採掘の地域であり、その場合には、前記算定基準に従った安定期間は妥当しない旨主張している。
そして、《証拠省略》によれば、本件各物件の地下は、地表側から、田川八尺層、同四尺層の採掘がなされていることが認められる。
《証拠省略》によれば、累層採掘の場合には、層間距離によってその程度は一概には決め難いが、下層を後で掘った場合、鉱害角が単層採掘の場合に比して増大し、また安定期間も単層採掘の場合に比して長くなる可能性が考えられることが認められる。
しかし、本件各物件の所在地下において、累層採掘による影響の有無と程度は、これを証する資料は見当らず、累層採掘による安定期間の長期化の可能性を前提として、本件の採掘と物件被害の因果関係を判定することはできない。
そして、《証拠省略》によると、前記の沈下の安定に要する期間としては、前記基準がおおむね妥当なものであることが認められるから、本件各物件の被害と本件採掘との因果関係を判断するには右基準によることが相当である。
3 《証拠省略》により認められる本件各建物の建築年並びに《証拠省略》により認められる本件各建物の地下の採炭層名と最終採掘年は、次のとおりであることが認められる。
右認定に反し、《証拠省略》には、本件一の建物につき大正九年、《証拠省略》には、本件二及び三の各建物につき大正五年ころ、《証拠省略》には、本件四及び五の建物につき大正一一年をそれぞれ建築年とする記載があるが、右各記載は、《証拠省略》及び証人毛利正則の証言に照らし、にわかに措信し難い。けだし、同証言によれば、《証拠省略》は、被告会社の鉱害担当者において本件各建物についての鉱害判定をなすために行った建築年の現地聞き取り調査の再確認のために、現地において、原告らが組合員となっている被害者組合の代表者と共に、原告ら本人から建築年の聞き取り調査をした結果を記載し、これを右組合に交付して原告ら本人に確認を取ったうえ各人の認印を得て、右組合を介して被告に返却されたものであることが認められるから、その正確性には相当の信頼がおけるのに対し、《証拠省略》は、本件各裁定後一年以上経過した昭和四九年九月一六日に、原告ら代理人らが、橘地区公民館において行った被害聞き取り調査に基づくものであって、その作成経緯自体から《証拠省略》に比してその信憑性は格段に低いものといわざるを得ない。
別紙物件目録番号 建築年 最終採掘年(炭層名)
一 昭和二七年 大正九年下期(田川八尺層)、大正七年下期(田川四尺層)
二、三 昭和七年 大正一〇年上期(田川四尺層)
四、五 昭和五年 同右
六 昭和二二年 同右
七、八 昭和三年 同右
九、一〇 昭和二五年 同右
一一 昭和二五年 同右
一二 昭和二二年 同右
一三、一四、一五 昭和一〇年 大正一四年上期(田川八尺層)、大正一五年下期(田川四尺層)
一六 昭和二〇年 大正一三年上期(田川八尺層)、大正一五年下期(田川四尺層)
一七 昭和一一年 大正一二年下期(田川八尺層)、大正一〇年上期(田川四尺層)
一八、一九、二〇 昭和二九年 昭和二七年上期(田川八尺層)、昭和一六年上期(田川三尺層)、大正一一年下期(田川四尺層)
二一 昭和三二年 昭和一五年下期(田川八尺層)、昭和五年上期(田川三尺層)、大正三年上期(田川四尺層)
二二 大正一五年 明治四五年上期(田川四尺層)
右認定によれば、本件一八ないし二〇の各建物を除くその余の建物につき前記算定基準による安定期間経過後に建築されたものであることが明らかであり、被告の掘削と右各建物の損傷の因果関係はこれを認めることができない。
これに対し、本件一八ないし二〇の各建物については、田川八尺層の最終採掘年である昭和二七年上期から起算して前記算定基準による安定期間である一年半以上二年未満内に建築されたものである可能性が残るが、《証拠省略》によれば、右各建物の前所有者である恒遠芳太郎が、右各建物につき原告恒遠芳昌主張の被害を認定したのは昭和三〇年末であることが認められるから、右被害は右安定期間経過後に生じたものである可能性がむしろ高く、被告の採掘との因果関係ありと断定することはできない。
ところで、本件二三ないし二五、二八及び二九の各建物については、《証拠省略》に記載がなく、また、同号証に先立って原告らが作成した《証拠省略》にも、右各建物についての申告書は見当たらないのであり、他に資料のない以上、同原告ら申立にかかる《証拠省略》の記載に従わざるを得ないと考えられる。
それによると、右各建物の建築年は、それぞれ大正六年二月一〇日、大正五年七月一五日、大正四年一〇月一一日、大正七年二月一日、大正一〇年一一月一四日であることが認められ、《証拠省略》により認められる同建物地下の最終掘削年である明治四五年上期から、前記算定基準による安定期間を経過していることが明らかである。
4 次に、いわゆる浅所陥没が本件各物件につき起こり得るか否かにつき検討する。
《証拠省略》によれば、いわゆる浅所陥没とは、地表から浅い部分の採掘後、そのまま採掘跡の空洞が保持され、ある時期を経て瞬間的に地表まで崩壊する場合をいい、したがって浅所陥没は沈下の安定によって起こらなくなるということはないとされる。
そして、《証拠省略》によれば、浅所陥没の起こる採炭層の地下深度は、従来の浅所陥没発生事例をみると、その殆んどが三〇メートル以浅であり、また採掘の方式別にみるといわゆる残柱式(採掘に際し石炭層の一部を採掘せず柱として残してゆく方式)の場合に発生し易く、いわゆる長壁式(未採掘部分を残さず一〇〇米、二〇〇米といっせいに採炭する方式)では発生しにくいとされ、陥没の態様をみると一般の陥没では空洞面積以下の部分がロート状に落下するのに対し、浅所陥没では、残存空洞の上が地表まで破壊され、その範囲も局所的であること、また地表の変化が急激に起こり、沈下の程度も一般の陥没に比して激しいこと、一般の陥没にみられる五要素(沈下、傾斜、わん曲、水平移動、歪)のうち沈下のみがみられること、以上の各事実が認められる。
これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、本件一ないし一七の各建物の所在地である橘地区、番田地区のうち、原告らより被害現象が大きいとの申出のあった三箇所を選択して試すい調査を行ったところ、そのいずれも浅所陥没の起こり得る前記深度の範囲内には、採掘跡が発見されなかったことが認められる。
次に、《証拠省略》によれば、新町地区及び日の出町地区については、前記調査の対象外であるが、《証拠省略》によれば、同人らがそれぞれ《証拠省略》の作成に関与したところによれば、通商産業局保管の本件各物件の所在地域にかかる田川地区炭層賦存状況図(以下「賦存状況図」という。)には、浅所陥没の発生が可能な程度に浅い石炭層は記載されていないことが認められる。
さらに、本件各建物につき、浅所陥没による被害を窺わせる損壊の状況を認めることはできない。
とくに、田川三尺層(同層については、《証拠省略》中の採掘状況の調査結果からは、賦存状況図上の最浅採掘深度が明らかでない)の影響が考えられる本件一八ないし二一の各建物についてみるに、《証拠省略》によれば、柱の傾き、建具の隙間、瓦のずれ、雨漏り等の現象が生じていることが認められるが、前記説示のような急激な沈下という浅所陥没特有の現象は認められないから、この点からも、右各建物の被害が浅所陥没の影響によるものと認めることは困難である。
5 以上のとおり、本件各物件の被害と被告の掘削との因果関係は、これを認めることができない。
六 以上の次第であるから、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 麻上正信 裁判官 水上敏 裁判官河野泰義は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 麻上正信)
<以下省略>